年明けに思う

父親が緊急入院するも、一週間ほどで無事に退院。

 

 

 

30年前に、全く同じ症状で、全く同じ病院へ、似たような時期に入院しているが、今回は手術まで至らなかった辺りに、医療の進歩を感じる。

 

94歳まで生きた父(祖父)と、白寿を迎えた母(祖母)という、長寿の両親を持つ父親は、逆に長生きすることに意味を見出しておらず、あまり昔から健康に気を使わない。お酒は飲まない分、かなりのチェーンスモーカーで、特に運動もしない。ヤニが原動力なのではなかろうか。

 

「わしは、あげには生きん(あそこまでは、生きない)」と言い、実際それは本当だと思う。

 

その一方、50歳で他界した母と、49歳で他界した妹を持つ母親は、子どもの頃から丈夫な方ではなかったので、昔から「健康」の売り文句には弱く、子どもに自分の体質を引き継がせてはならないと、アレやコレや“カラダにいいもの”を取り入れて、地味な色のお弁当を作ってくれた。

 

今にして思えば、人よりずっと手がかかっていたのだけど、幼少期には野菜の煮しめよりも真っ赤なタコさんウインナーが羨ましかった(笑)

 

やたら長寿な父方。

やたら短命な母方。

 

でも、どちらも年齢順にこの世を去ってる訳ではなく、そこはもうミステリーだなと思う。

 

一時期は15人ちかくの親戚が集まって、ワイワイガヤガヤと盆暮れ正月を過ごした家も、今では広いスペースに年寄り3人のみ。

 

帰省するたび、自分も含めた家族という名の共同体がまるっと老いていく様子を見ていると、子どもという新しい世代をもうけていない自分は生きる道を誤ったのではないか?という思いが、土地の条件付けにも後押しされて、つい頭をよぎってしまう。弟が一人いるが、彼も独身で良くも悪くも後がない。

 

ただ、二十歳で瞑想(迷走?)の世界へ入り込んでしまった事や、三十路になったら当時一緒にいたパートナーが難病を抱えてしまったり、四十路になったら急に仕事が回らなくなってしまったり、外側の流れだけを振り返ってみても、手先は器用でも生き方は不器用な自分には、結局どうしようもなかった気もする。

 

かつてインドの瞑想スペースで結婚も妊娠もあり得ないとか、年金も保険も無駄だとか、怪気炎を上げていた諸先輩方(一部)は、己が高齢化したら、ちゃっかり入籍していたり、子供を作っていたり、年金や保険の類は身内が払ってくれていたり等々、実は安泰だったんじゃねーかという例を散見すると、こちらとしては「この、嘘つき」と内側で悪態をついてしまう時期もあった。別に誰も嘘などついていないのだが。

 

父親は頭に血がのぼると、グーで頭を殴るという女の子の育て方としては、最悪なパターンをやらかしていて、10代の頃は彼が死んでも涙一つ出ないだろうと思っていたのに、今は地元の神社の総代(世話役)をしながら、静かな余生を過ごしている父親との関係は、いつの間にか穏やかなものになっていき、今回入院の話を聞かされた時は、驚くほど動揺している自分がいた。こんな事が起きようとは。

 

なかなか思うようにはならない、人の生き死にではあるけれど、それでも祖母→父親→母親という命の順番は守ってほしいなと思う。

 

お父さんが一人残るパターンだけは、何というか困る。非常に困る。

つらつら書き留めただけの内容なので、オチは無いのである。

 


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