2018年の誕生日は敬老の日

 

2018年はいったい何の象徴だか、敬老の日が誕生日となるワタクシ。敬老ではなく、誕生のお祝いをしてもらいました(笑)

 

全員が何らかの形で、私のワークをハートから支えてくれている人たち。それぞれ個別に繋がりはあるのですが、こうして4人全員が揃うことは稀。とても貴重な組み合わせなのでした。

 

最後のサプライズで、私のデザートに名前入りのお祝いプレートが、さらりと出てきたのでした。キャーキャーキャー

 

食事も美味しかったし、

お酒も美味しかったし、

ツッコミも食らったし、

久しい人にも会えたし、

プレゼントも貰ったし、

 

いろいろと豊かな時間を“たっぷり”味わって帰ってきました。

 

数秘から見ても、去年から今年にかけては、特に大きな変化の年…のハズなのですが、その割には象徴的な分かりやすい変化って今回起きてないな〜 と思っていたら…6月下旬に“フッ”と内側で、私に取っては象徴的な一つの変化が起きたのでした。

 

 

それは、ずーっとずーっと長〜い間、瞑想と共に見守り続けるしかなかった、なかなか他人には説明のつかない、私特有のネガティビティが、まるで“ガコッ”と音がするかように、ハッキリとシフトした瞬間を味わった事でした。まさにギアチェンジといった感じ。

 

長年、自分の中で大事にしていた短いOSHOの質疑応答があったのですが、それを久し振りに読み返した時、今までとは違う方向に講話への理解を向けてみたら、その途端にグルグルと温かいエネルギーが一瞬にして身体じゅうに駆け巡り、その後からやってきたのは深〜いホッとするような安堵感。なんぞ、コレ(汗)

 

一体、何が起こったんだろうと思ったのですが、つまり早い話がスピリチュアルな世界では、よく耳にする「ハートが開く」というヤツの1つですね(笑)

 

でもだからと言って、キラキラのハートが飛び散るような派手なことも、全ての人が許せるような博愛精神が起きることもなく、安堵感の次にやるべき事は梅雨で溜まっていた洗濯だったのでした(笑)

今回、私の変容の鍵となった、長年大切にしていた講話の最後の部分から。

 

 

恐怖はたんに症状にすぎない。

それは病気ではない。

治療法はないし、その必要もない。

それはただ症状でしかなく、しかも極めて有用でもある。

つまりそれが示しているのは、もうこれ以上、

生を浪費してはいけないということだ。

あなたは“もっと愛しなさい”と言われている。

 

OSHO

(Hammer one the Rock)

 

 


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